甘栗太郎とは  | 甘栗太郎の天津甘栗は「味よし、艶よし、風味よし」。つくりたてのおいしさを通販でもお求めいただけます。

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甘栗太郎とは

はじめまして甘栗太郎です

いつでも新鮮、焼き立てのおいしさを皆様に。『甘栗太郎』は、本物の味作りを目指しています。

大正3年の創業以来、当社はいつでも新鮮な焼きたての味を お届けするべく、甘栗一筋でがんばっています。
当社のモットーは「味よし、艶よし、風味よし」。このうち、どれが欠けても「甘栗太郎」の甘栗にはなりません。
そのため、当社では一店舗一工場を基本とし、いつでも焼きたての新鮮なおいしさを皆様にお届けするよう、心がけています。

甘栗は、天然由来の食べ物です。
身体に悪影響を及ぼすような添加物や保存料などは一切使用していません。
また、人工的に加工したり、必要以上に手を加えたりすることもありません。
そのため、お子様からご高齢の方々まで、どなたにも安心して召し上がっていただけます。

現在は、世の中に「偽物」が多く出回るようになってしまいました。
「本物」と「偽物」の区別がなかなかつきにくくなり、身体にやさしく、食べてもおいしい「本物」を見つけるのが難しい時代です。

だからこそ、当社は長年にわたって蓄積された甘栗づくりのノウハウを活かし、“新鮮な焼きたて”をコンセプトに本物の味づくりを目指しています。 皆様の暮らしに「甘栗太郎」の甘栗を取り入れていただけると幸いです。

誕生伝説

大正3年創業。昔と変わらず、焼きたてのおいしい甘栗をお届けしています

創業者、柴源一郎(1917~2005)は、茨城県下館市(現在は筑西市)の農家の出身。 大学卒業後に中国へ渡り、甘栗太郎の前身である「甘栗太郎本舗」へ入社しました。
当時はまだ輸送技術が確立されていなかった時代です。産地での甘栗の買い上げや天津港への集荷・積み出しには、大変な苦労が伴ったと言われています。

当時、柴源一郎は甘栗太郎本舗の仕入れ担当として、中国河北省奥深くの甘栗の産地まで出かけていましたが、第二次世界大戦の影響で甘 栗貿易もままならなくなったことから、栗の日本への輸出量は激減。
その代わりとして、日本では朝鮮半島の平壌栗が輸入販売されていたそうです。

戦後、中国との間で甘栗貿易が再開されたのは1949年のこと。柴源一郎は戦後、郷里に戻って農業経営の傍ら、小豆の市場売買で活躍していました(この頃の活躍が、小説家・梶山季之氏の出世作「赤いダイヤ」のモデルとなっています)が、甘栗の輸入が再開されると、小豆取引をやめて、東京に本拠地を移転。1956年、「株式会社甘栗太郎」を創業し、本格的に甘栗の仕事を手がけるようになりました。

しかし、1958年にいわゆる「長崎国旗事件」が起こり、日中貿易は中断。会社は倒産、廃業の危機に見舞われてしまったのです。柴源一郎は甘栗の輸入再開を実現すべく、当時の通産大臣に掛け合い、「政治と商売を切り離して考えてほしい」と直談判。その結果、栗は友好「配慮物資」として貿易を再開することができました。

その後は、1、2店舗での小売から始めて徐々に店舗数を増やしていき、一時は全国に40店舗以上を数えました。 現在では、株式会社甘栗太郎本社に併設された四谷店のほか、7店舗を運営。昔と変わらず、焼きたてのおいしい甘栗を皆様にお届けしています。

長崎国旗事件ってなに?

1958年5月、長崎の老舗デパートで民芸品(切り絵など)を中心にした展示会が開かれていたとき、その入り口に下げられていた由緒ある中国の国旗が引きずりおろされ、踏みつけられてしまったのが、事件の発端です。
その後、当時の岸内閣が国会で物議をかもし出す答弁をした結果、中国との貿易や文化交流が停止してしまいました。